ずっとあった小さな違和感
ピアノの道を目指し始めたのは20年ほど前ですが、そのときからうっすらといつも感じていた違和感があります。
その違和感がだんだん大きくなってきて、ようやく言語化できそうな気がしたので書いてみる。
大好きで志したクラシック音楽だけど、クラシックにはひとつ大きな欠点がある。
それはズバリ、分かりにくいということ。
聴く側も積極的に勉強しないと、受け取れるものも受け取れないこと。
これが、忙しい現代人にはとにかく合っていない。
それだったら勉強なんてしなくても聴いただけですぐに分かって感動できるポップスを聴くよね。
…と、そんなことはずっと前から分かっていたけれど、
毎日クラシック漬けでいると、これは一般の人にとっては分かりにくい音楽なんだということすら簡単に忘れてしまうものなんです。
クラシック音楽はいつも権威の上に成り立っていた音楽でもあります。
キリスト教教会が権力を持っていた頃、宮廷が力を持っていた頃、そういった偉い人たちから依頼されて書いていたのがクラシック音楽。
ベートーヴェンの頃からようやく自己表現という概念が出てきたけれど、それでも形式や理性を重んじる音楽というところはあまり変わらない。
今もクラシック音楽は、「音大」「コンクール」という権威に守られています。
卒業した音大の名前や、受賞したコンクールの名前を掲げれば、ちゃんとした音楽家なのね、と見てもらうことができます。
これには私も随分お世話になってきました。
これ自体は、悪いことではないと思うんです。
ただ。
プロの音楽家を名乗るのであれば、やっぱり聴いてくれる人に楽しんでもらいたい。エンターテイメントをしたい。
でも。
権威に守られ、形式や理性を重んじる音楽は、エンターテイメントになりうるのかな?
ここの違和感がずーーーっとあったんです。それはもう長いこと。
そんな中でひたすらクラシックに向き合い、自分なりの活動を展開することで、はっきり見えてきたことが2つあります。
ひとつは、
それでも、エンターテイメントになりうる!ということ。
つまらないものにするかおもしろいものにするかは、やりようによって幾らでもある。
ふたつめは、
エンターテイメント性はあるにはあるけど、限りなく弱いよ、ということ。
できることなら認めたくないことではある。
だって、クラシックの作品を形にするのってとても大変で、そんな大変な思いして仕上げても、
ちょこちょこっと準備したアンコールが一番素敵でしたって言われるし、
昨年の秋には、クラシックメインのプログラムの中で、リクエストで歌謡曲を弾いたのですが、明らかに反応が違った。目がうっすら潤って光っていた。
考えちゃうよね。。
クラシックは本当にエンターテイメントになる?クラシックにこだわる必要ある?って。
それでもぐずぐず手をつけずにいたのは、下手にポップスとかに手をだして、今まで積み上げてきたものが崩れたらどうしよう?という思いがあったから。
クラシックをクラシックらしく弾けるようにするために、叩くようなタッチは封印して、滑らかに滑らかに弾いてきた。それが実を結んで評価してもらえてきた。それが揺らいじゃうかも?
あと、ちっぽけなプライドを捨てきれるかな?という不安もある。
それなりのものを積み上げてきて、音大という権威に守られてなんとかやってこれてるのに、
ほぼど素人のジャンルに手をつけて恥かくかも?
こんな不安があって手をつけずにいたけど。
実際にやってみたわけじゃないからわからないのね笑
今まで積み上げてきたものが崩れるかも?恥かくかも?
かも?止まり。
とりあえずやってみよう。嫌だったらすぐにやめればいいんだから。
ということで、ジブリ、ディズニー、ミュージカル、ポップス辺りの演奏動画を、何かしらのメディアにアップしようと思います。
でも本当にクラシックだけで来たから、曲を知らないのです。おすすめやリクエストあればぜひ教えてください😌
詳細が決まったらまたお知らせしまーす✨