イメージとエネルギー
ここ何日かで思ったこと。
演奏する上で、
まず最初にイメージ、って大事だな。
こうなりたい、こうしたい、というイメージから全ての行動が起こる。
イメージがあれば、そこからエネルギーが沸いてくる。
それはどんどん上に上がって、
噴水のように溢れて溢れて止まらないんだけど、
そうやって上に溢れさせる一方で、
腹で手綱を引く。
お腹の下の方、丹田の辺り。
エネルギーが上に上がりっぱなしだと、身体が安定しなくなってコントロールがきかなくなってしまうから。
そんなエネルギーの在り方が、私たち音楽家の場合はそのまま音として反映する。
楽譜通り弾きましょう。正しい演奏スタイルを理解しましょう。
このような目に見える部分は勉強すれば誰でも身に付くけれど、
私が今後極めていきたいのはここ。エネルギーの在り方。
これは、
思考、意識、イメージといった目に見えない要素と
身体という物理的な要素の両方が混在するもの。
というか、目に見える要素見えない要素と、分けて考えること自体が、エネルギーを感じる上で少し本質からずれてしまっているのですが💦
で、遡ってみると、
①エネルギーが上に上がる一方丹田の手綱がなければコントロールがきかない
②エネルギーが上まで上がってこなければ、外へ表現する、伝達するところまでいかない
③そもそもイメージがなければそのエネルギーは発生しない
イメージ、頭の中で描いたこと、というのが全ての端を発していて、
逆に言えば、イメージがないのに出てきてるものというのは、不自然にひねり出されたものか、自動で垂れ流し的に出てきてしまっているものか、
いずれにしろ人に伝わらないし、身体に負担が来る可能性も強くなるわけです。
どんな質が欲しい?
という問いを常に自分に問いかけていくのが大事。
で、これは実は演奏するとき限定ではなく、日常生活でも同じことが言えて、日常の中でも練習ができます。
「逆に言えば、イメージがないのに出てきてるものというのは、不自然にひねり出されたものか、自動で垂れ流し的に出てきてしまっているものか」
普段の日常の場面でも、無意識のうちにこうゆうことが起こっていたりするもの。
同じようなことが繰り返される日常では、習慣的に、自動で垂れ流し的にっていうのはとても多いケースじゃないかな。
また、日常生活においては、どんな人であれ、こなさなければならないタスクが非常に多いはず。
だから、イメージ、思考、意思などに端を発っさずに、表面的に行為してしまっている場面は多いです。
その中でどれだけ、どんな質が欲しい?を自分に問い続けられるか。自分の内側に感覚を戻せるか。
日常の中でそんなことなかなか考えないですよね。
でも少しだけ、そこに意識を向けてみると、演奏の質もかわるし、
演奏と日常の境界線もほとんどないことに気づきます。
いつも読んでいただきありがとうございます🍀
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まず最初にイメージ、って大事だな。
こうなりたい、こうしたい、というイメージから全ての行動が起こる。
イメージがあれば、そこからエネルギーが沸いてくる。
それはどんどん上に上がって、
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そうやって上に溢れさせる一方で、
腹で手綱を引く。
お腹の下の方、丹田の辺り。
エネルギーが上に上がりっぱなしだと、身体が安定しなくなってコントロールがきかなくなってしまうから。
そんなエネルギーの在り方が、私たち音楽家の場合はそのまま音として反映する。
楽譜通り弾きましょう。正しい演奏スタイルを理解しましょう。
このような目に見える部分は勉強すれば誰でも身に付くけれど、
私が今後極めていきたいのはここ。エネルギーの在り方。
これは、
思考、意識、イメージといった目に見えない要素と
身体という物理的な要素の両方が混在するもの。
というか、目に見える要素見えない要素と、分けて考えること自体が、エネルギーを感じる上で少し本質からずれてしまっているのですが💦
で、遡ってみると、
①エネルギーが上に上がる一方丹田の手綱がなければコントロールがきかない
②エネルギーが上まで上がってこなければ、外へ表現する、伝達するところまでいかない
③そもそもイメージがなければそのエネルギーは発生しない
イメージ、頭の中で描いたこと、というのが全ての端を発していて、
逆に言えば、イメージがないのに出てきてるものというのは、不自然にひねり出されたものか、自動で垂れ流し的に出てきてしまっているものか、
いずれにしろ人に伝わらないし、身体に負担が来る可能性も強くなるわけです。
どんな質が欲しい?
という問いを常に自分に問いかけていくのが大事。
で、これは実は演奏するとき限定ではなく、日常生活でも同じことが言えて、日常の中でも練習ができます。
「逆に言えば、イメージがないのに出てきてるものというのは、不自然にひねり出されたものか、自動で垂れ流し的に出てきてしまっているものか」
普段の日常の場面でも、無意識のうちにこうゆうことが起こっていたりするもの。
同じようなことが繰り返される日常では、習慣的に、自動で垂れ流し的にっていうのはとても多いケースじゃないかな。
また、日常生活においては、どんな人であれ、こなさなければならないタスクが非常に多いはず。
だから、イメージ、思考、意思などに端を発っさずに、表面的に行為してしまっている場面は多いです。
その中でどれだけ、どんな質が欲しい?を自分に問い続けられるか。自分の内側に感覚を戻せるか。
日常の中でそんなことなかなか考えないですよね。
でも少しだけ、そこに意識を向けてみると、演奏の質もかわるし、
演奏と日常の境界線もほとんどないことに気づきます。
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