表現者の陥る罠

ブログリニューアルする前の、アメブロ時代の記事を見て、なるほどなぁ~と思った。



以下、過去記事より。


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「表現者の陥る罠」

ものすごくうまくいったとする。


はっ私才能あるかも!
これいい、すごくいい!いい感じ!


そして寝て起きて次の日に、同じ場所を目指そうとしてみる。


あの、難しいことがするするっとできる感じ
あの、無理のないスケールの大きさ
あの、キラキラとした感じ

それを目指そうとすると、

なにか別物になってしまう。


何故ならそれは、結果だから。

するするできたことも、スケールの大きさも、キラキラした感じも、

それができたとき、それを狙っていたわけではないはずだ。


それを狙っていたわけではなく、何かをしたんだ。
そしたら自然に、そうなった。


なのに、その何かをしないで、いきなり結果を求めても得られない。物事には手順があるから。
まるで煮ずに作った野菜の煮物みたいなものだ。


じゃあなにをすればいいでしょう?
何をしたからその結果が得られたのでしょう?




答えはね、



今この瞬間、自分の身体や心がどうゆう状態か、知っていること。

そこに判断を下す必要はないと思うのね、
ああもう、首が固いなとか肩こってるなとか


背骨が長いな(長くするのではない)
足の裏が地面に触れてるな
座ってたら、おしりと椅子が触れてるな
触れてるものの間にはエネルギーが流れていて
地面に足が触れていれば地面も足を触れ返している
触れていないものの間にもエネルギーは流れている
自分の周りの広い空間と、その中にいる自分
その中ですごくリラックスしているんだけど
打てばぱっと動くこともできる。

動こうかな動こうかな
やっぱやめようかな

やっぱ動いてみよう!

とその思いに従って身体を動かしてみる。

思いより前に身体を動かさない。すると、思い通りに身体が動くようになる。


難しいはずのこともすらすらできるし、大きなスケール、キラキラした音。


うまくいったときの様子を顕微鏡で拡大して細分化してみるときっとこんな感じ。


思い(もしくは感情)はお腹や腰の辺りから生まれるんじゃないかな。

自分の思いから出ている音は、お腹や腰から出ているからはっきりとよく届く音だ。

でも思いから発せられたものでない音は、胴体の上の方だけで作った、結果だけを狙った音だ。それっぽいけど届かない。


ここで大事なのが、ちゃんと自分の生身の思いを伝えること。
自分の言葉で喋ること。


そこで難しいのは、クラシック音楽は自分で作った曲じゃないということ。

どこの馬の骨ともしれない、時代も国も感覚も全然違う誰かが作ったもので、

その音を読み、どんな思いが込められているかを読み解くのに時間がかかる

その音を身体に入れて、覚え込むのに時間がかかる

覚え込むために反復練習なんかすると、それって大抵思いより先に身体を動かしているからどんどんオートマに表面的になる

でも反復練習しないといつまでも弾けるようにならないからとりあえず反復練習しとく


あれ?結局何がしたかったんだっけ?

っていうのがよくあるパターンだけど、

複雑で難しい作品が多いから反復練習はさけられない


1回1回の反復練習を、できるだけ、
自分の身体や思いがどんな状態か、見ながらできるといいね。

身体が思いを先回りしてオートマになってないかな

逆に身体を意識しすぎて思いが先に進めなくなっていないかな


そのときによって違うと思います。


クラシックって、もしかして、

できるようになるまでの過程を楽しむ分野なのかも。

~~~~~~~~~


ああ、最近まさにどっぷりとはまっていましたね、この罠に笑

忙しくて、やることがたくさんありすぎると、とりあえず、思いよりも前に身体を動かしちゃうんですよね。

思いから発していない身体の動きは、疲れとして蓄積されやすいような気がする。

とりあえずもう一度自分の身体を思い出して、本番に臨みたいと思います!こちら⬇





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