日本とヨーロッパ
今年の本番もあらかた終わり、
やっと風邪があともう少しで治りそうです!
一番咳がひどい時に薬で止めて、そのまま普通に活動してしまったため、喉のちりちり感がいつまでも消えずに長引いてしまいました。
多くの方々にご心配をおかけしてしまいました😢
さて、今年の夏にドイツでマスタークラスを受けてきたのですが、ドイツから帰ってすぐの頃に下書きして、そのまま放置していた記事を発掘したので、今更ながらアップしてみます…笑
~~~
今回マスタークラスを受けて、それはそれは良い刺激をたくさん受けてきたのですが、
それは先生方が素晴らしいのはもちろんなのですが、
やっぱりお金も時間も、えいっと思いきらないと出せないものを費やして、果てしなく遠いところまで行ったからこそ、私も受けとるぞ!という気持ちで臨めたのが大きいのかな、と思う。
普段と違う場所でやってみる、というのがとても新鮮でした。
特に向こうは残響が違うので、音の捉え方そのものが違ったように感じます。
でも日本に帰って同じことをしようとすると、全然別物になってしまう。
向こうでやってきたこと、向こうで感じた手応えは向こうでしか味わえないものなんだな、と実感しました。
環境が変われば枯れてしまう花のように、音楽は生物なんですね。
本当にその場でしか生まれないもの。
その意味では、本当の意味でのクラシック音楽は日本には存在し得ないのかもしれません。
なのになんで私たちはクラシックを続けるんでしょうね!
やっぱり、常に自分にない新鮮な驚きが欲しいのかな。
そしてマスタークラスを受ける中で、私の先生方には共通していえる部分があります。
それは、
まず音楽がある。出来上がり図が頭に鳴っている。
そしてそれを表現する。
いやいや、当たり前だろ!って思われるかもしれないけれど、これが本当に実現できている人は実はなかなかいないと思う。
人に指導するとき、または自分が演奏するとき、本当にその音楽に対して出来上がり図が頭に鳴っているでしょうか?
そしてそれを表現するために必要なエネルギーの質はどんなもので、どうすればそれを生み出せるかわかっているでしょうか?
身体や指の使い方もすぐにアイデアが出てくるでしょうか?
そしてそれらは、自分が思っているよりも更に豊かなものになる可能性を、常に視野に入れているでしょうか?
これがない状態で指導すると、どうなるか。
早いパッセージで指が転げないように
フォルテで汚い音にならないように
フレーズの終わりの音が大きくなってぶっきらぼうにならないように
ああならないように
こうならないように
ダメ出し精神、否定精神だけになってしまう。
もちろん、おかしいところは直さなきゃならないから、レッスンの中でダメ出しの嵐や、ちょっと弾いては止められちょっと弾いては止められとかはよくあることなの。
でも根底に出来上がりの音楽があるから、細かいダメ出しも全てがひとつの脈絡に繋がっている。
でもそれがなかったら、表面的には綺麗に整うけど、そこから先のものがない。
というか、最初からないんだから、当たり前だよね。
よく、想像したものはそのまま実現すると言います。
そして、人間の脳は否定形を理解できないと言います。
つまり、
ああならないように
こうならないように
とイメージするうちに、
そのああだのこうだののそのものをイメージしてしまって、
結局はそれを招いてしまう、ということ。
ミスしないように
止まらないように
と考えていたら、脳はミスしているイメージ、止まってしまうイメージをしてしまって、結局はそれを招いてしまう、ということ。
だから、そこじゃなくて、常に音楽そのものにフォーカスする。
何にフォーカスするかということを間違えてはいけない。
これは私自身も本当に気を付けたいな、と思います。
そして先生方はいつも、私にポジティブなフォーカスの選択肢を与えてくれます✨
それと、日本とヨーロッパの違いで特に感じるのは、日本では認められ評価される演奏というのは、1種類しかないように感じる。でも向こうでは多様性が認められているように感じます。
長くヨーロッパにいたわけじゃないから本当のところはわからないけれど、ちょっといただけでもその気配は感じます。
街を歩いていても人種は多種多様ですからね。普通や標準と違うことを認め合う精神、というのは意識されているのでしょうか。
完璧じゃなくても、全部正しくなくても、ちゃんと自己主張して、最低限自分を表現することが絶対必須で求められる場所です。
日本にいると、そういった個性を表現するよりも、周りに馴染もうとするエネルギーの方が強くなる。実際、学校や家庭でもそう教えられてきましたからね。
馴染もうとするエネルギーは悪いものではないけど、それしか知らないとちょっと苦しいですよね💦
ヨーロッパにいると、そうゆう空気一切なくて、むしろがつがつ自己表現しないと逆に変な目で見られますからね。嫌でも別人みたいにならざるを得ません。
でもきっと、日本の空気はこれからどんどん変わっていく気がする。このことに気づきはじめて意識している人が増えてきているから。
ただ私は、こうゆうところも含めてやっぱり日本が好きなので、この場所で、自己主張自己表現を続けたいと思います✨
~~~
こんなこと感じてたのかー、まさにこの感覚はドイツ帰りならではの感覚。もうすっかり忘れていました!
今年の秋冬もお陰さまでとても充実していて、なんだかドイツ行ってきたことがもうすでに遠い昔のようです…
プロフィール、レッスン情報はこちら
やっと風邪があともう少しで治りそうです!
一番咳がひどい時に薬で止めて、そのまま普通に活動してしまったため、喉のちりちり感がいつまでも消えずに長引いてしまいました。
多くの方々にご心配をおかけしてしまいました😢
さて、今年の夏にドイツでマスタークラスを受けてきたのですが、ドイツから帰ってすぐの頃に下書きして、そのまま放置していた記事を発掘したので、今更ながらアップしてみます…笑
~~~
今回マスタークラスを受けて、それはそれは良い刺激をたくさん受けてきたのですが、
それは先生方が素晴らしいのはもちろんなのですが、
やっぱりお金も時間も、えいっと思いきらないと出せないものを費やして、果てしなく遠いところまで行ったからこそ、私も受けとるぞ!という気持ちで臨めたのが大きいのかな、と思う。
普段と違う場所でやってみる、というのがとても新鮮でした。
特に向こうは残響が違うので、音の捉え方そのものが違ったように感じます。
でも日本に帰って同じことをしようとすると、全然別物になってしまう。
向こうでやってきたこと、向こうで感じた手応えは向こうでしか味わえないものなんだな、と実感しました。
環境が変われば枯れてしまう花のように、音楽は生物なんですね。
本当にその場でしか生まれないもの。
その意味では、本当の意味でのクラシック音楽は日本には存在し得ないのかもしれません。
なのになんで私たちはクラシックを続けるんでしょうね!
やっぱり、常に自分にない新鮮な驚きが欲しいのかな。
そしてマスタークラスを受ける中で、私の先生方には共通していえる部分があります。
それは、
まず音楽がある。出来上がり図が頭に鳴っている。
そしてそれを表現する。
いやいや、当たり前だろ!って思われるかもしれないけれど、これが本当に実現できている人は実はなかなかいないと思う。
人に指導するとき、または自分が演奏するとき、本当にその音楽に対して出来上がり図が頭に鳴っているでしょうか?
そしてそれを表現するために必要なエネルギーの質はどんなもので、どうすればそれを生み出せるかわかっているでしょうか?
身体や指の使い方もすぐにアイデアが出てくるでしょうか?
そしてそれらは、自分が思っているよりも更に豊かなものになる可能性を、常に視野に入れているでしょうか?
これがない状態で指導すると、どうなるか。
早いパッセージで指が転げないように
フォルテで汚い音にならないように
フレーズの終わりの音が大きくなってぶっきらぼうにならないように
ああならないように
こうならないように
ダメ出し精神、否定精神だけになってしまう。
もちろん、おかしいところは直さなきゃならないから、レッスンの中でダメ出しの嵐や、ちょっと弾いては止められちょっと弾いては止められとかはよくあることなの。
でも根底に出来上がりの音楽があるから、細かいダメ出しも全てがひとつの脈絡に繋がっている。
でもそれがなかったら、表面的には綺麗に整うけど、そこから先のものがない。
というか、最初からないんだから、当たり前だよね。
よく、想像したものはそのまま実現すると言います。
そして、人間の脳は否定形を理解できないと言います。
つまり、
ああならないように
こうならないように
とイメージするうちに、
そのああだのこうだののそのものをイメージしてしまって、
結局はそれを招いてしまう、ということ。
ミスしないように
止まらないように
と考えていたら、脳はミスしているイメージ、止まってしまうイメージをしてしまって、結局はそれを招いてしまう、ということ。
だから、そこじゃなくて、常に音楽そのものにフォーカスする。
何にフォーカスするかということを間違えてはいけない。
これは私自身も本当に気を付けたいな、と思います。
そして先生方はいつも、私にポジティブなフォーカスの選択肢を与えてくれます✨
それと、日本とヨーロッパの違いで特に感じるのは、日本では認められ評価される演奏というのは、1種類しかないように感じる。でも向こうでは多様性が認められているように感じます。
長くヨーロッパにいたわけじゃないから本当のところはわからないけれど、ちょっといただけでもその気配は感じます。
街を歩いていても人種は多種多様ですからね。普通や標準と違うことを認め合う精神、というのは意識されているのでしょうか。
完璧じゃなくても、全部正しくなくても、ちゃんと自己主張して、最低限自分を表現することが絶対必須で求められる場所です。
日本にいると、そういった個性を表現するよりも、周りに馴染もうとするエネルギーの方が強くなる。実際、学校や家庭でもそう教えられてきましたからね。
馴染もうとするエネルギーは悪いものではないけど、それしか知らないとちょっと苦しいですよね💦
ヨーロッパにいると、そうゆう空気一切なくて、むしろがつがつ自己表現しないと逆に変な目で見られますからね。嫌でも別人みたいにならざるを得ません。
でもきっと、日本の空気はこれからどんどん変わっていく気がする。このことに気づきはじめて意識している人が増えてきているから。
ただ私は、こうゆうところも含めてやっぱり日本が好きなので、この場所で、自己主張自己表現を続けたいと思います✨
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こんなこと感じてたのかー、まさにこの感覚はドイツ帰りならではの感覚。もうすっかり忘れていました!
今年の秋冬もお陰さまでとても充実していて、なんだかドイツ行ってきたことがもうすでに遠い昔のようです…
プロフィール、レッスン情報はこちら