ひとつのことを突き詰めるということ

私はピアノを始めて、かれこれ24年になります。
途中で2年くらいあまり弾かない時期がありましたが、その期間を除いて24年間、毎日毎日一定の時間ピアノに向き合ってきたことになります。


途方もない時間をピアノに費やしてきて、またこれからも費やしていくんだな、と思うと、なんだか不思議な気持ちです。

これだけの長い期間付き合っていると、だんだんと微細な感覚を捉えられるようになってきます。

つまり、最初は5㎝単位のことを知覚するのに一苦労だったのが、だんだん簡単に知覚できるようになり、それが4㎝、3㎝と縮まっていき、
今では㎜単位、0.1㎜単位の微細な部分まで顕微鏡のように感知できるようになった。

と同時に、5㎝までしか使えなかった範囲を6㎝、7㎝と広げて1mまで使えるようになった、そんな感じ。


こうしてピアノにたくさんの時間を費やして、ピアノが弾けるようになるのはもちろん、何かもっと大事なものを得ているような気がする。

それは敢えて言葉にするならば、

普通の人にはなかなか見えないような
物事の本質が見えるようになる。

普通の人がなかなか知覚できないような、
広く大きい視野で物を見る
または
顕微鏡のように微細な部分をズームして見ることが出来るようになる。

ピアノやその他、声楽やアレクサンダーテクニークというツールを使って鍛えたこういった感覚は、音楽以外の場でも生かされています。
つまり、物事の見方そのものが変わったということ。

普通に生きていれば、私たちにとって一番大事なのは、周りから浮かないことなのかもしれません。

周りになじめないことは、人間社会のなかで生きる上で死活問題ですからね。

周りと同じように、周りがやってるようにやれば大丈夫。

でもそこにもし何かしら間違ったことや、悪い習慣があったとしたら?


広い視野で物をみたり、微細な感覚で物を見るようになると、
そこが知覚できるようなってしまう。

みんながやってるから
今までずっとそうしてきたから
という理由だけでは、納得できなくなってしまう。
ただ流されているだけということが出来なくなる。

これはある意味非常に不便なことなのかもしれません。
少なくとも私は生きにくさを感じる場面もある。

昔、
結ちゃんて、(考え方とか)おもしろいけど、私が結ちゃんになりたいかっていうと、なりたくないな。なんか疲れそう笑

て言われたことある笑


でも、その感覚を磨くのをやめたら楽なのか?悩まないですむのか?

そんなことないよね。きっと苦しみの度合いはなんらかわりないのではないでしょうか。

ならば私は、やっぱりひとつのことをどこまでもどこまでも突き詰めていく生き方を、選びたいと思うのです。

大変だけどおもしろいです。生きてて良かったーって思います(^^)

どうかこの能力が、不便なだけでなく人の役にたちますように笑



今後の出演情報はこちら
プロフィール、レッスン情報はこちら




このブログの人気の投稿

ブログリニューアル

小さい手でピアノを弾く

岩崎結 プロフィール・レッスン情報

カルメンによる華麗な幻想曲~7月8日コンサートから

7月8日コンサート・共演者紹介

ピアノを弾くときの小指の存在

ショパンと第9

合唱ピアニストのお仕事

動くものと動かないもの

あけましておめでとうございます🎍