楽譜の罠

昨日、音楽用語の本当の意味を知ることで、楽譜を読み解く手がかりになると書きました。

クラシック音楽家にとっては楽譜は命で、
演奏家はそこに書いてあることを忠実に再現できることが求められます。



でも、中にはいらっしゃるのではないか。
そんな、
楽譜通り楽譜通り楽譜通り楽譜通り楽譜通り楽譜通り楽譜通りって、
めんどくさいいいい!
という方が。

その感覚も、あながち間違いではないと思います。

なぜなら本来音楽はじかに自分から出てくるものだから。止めることができずに勝手に漏れ出てしまった音だから。
でもそこに「楽譜通り」という縛りが介入してしまう。

私たちはいざ音楽をしようとするとき、まず初歩の教本を使って、先生にきちんとうまくできるようにコツを教えてもらって、そしたらだんだん曲の難易度をあげていって…という風に音楽をする。

いつからか楽譜がないと、模範がないと、指導が入らないと、演奏できなくなっていく。

これはでも仕方のないことなんですよね。
クラシック音楽は何百年も前から現代まで伝えられた珠玉の作品の素晴らしさを伝えていく分野だから、
「私」を表現するのではなく「作品」を表現する分野だから、
適当な音を出されたら困るし、指導やチェックが入らないと知らず知らずに自己流になってしまうかもしれないし、
クラシックをやりたいのなら楽譜通りという縛りからは逃れられません。


ある意味、楽譜とは先人の知恵。
先人の、奇跡とも言えるような素晴らしいアイデアや発想や感覚がたくさん記された資料。
つまりそれを忠実に再現することで、その素晴らしい知恵をもらうことができる。

こんな素晴らしく効率の良い学習方法、ないよね。それが当たり前にできる私たちは、なんて贅沢。


でも、音楽に限らず、どの分野でも、
素晴らしい先人の知恵
それをただ身に付けさえすればいいと思ってないだろうか?
自分の身体、心、感覚。この自然の産物にして最強のツールを使うことを忘れてないだろうか?
忘れて、先人の残した素晴らしいものだけで塗りつぶそうとしていないだろうか?
偉い人が言うことだけをそのまま鵜呑みして、塗りつぶしていないだろうか?

どんなに縛りがあったとしても、それでもやっぱり音楽はじかに自分の奥底から湧き出て溢れてくるものであるはずで、

そこは絶対に両立できるんです。

私は、最終的に楽譜を読むことは、作曲者の生の感覚を読み取ることだと思っている。

そしてそれができるのは、自分自身の本来の生の感覚にアクセスできる人間だけだ、と思う。


今日は少し難しい話になっちゃいました(^^;
読んでいただき、ありがとうございます♥


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