人は他人を自分が見たいように見てるんだなぁ

人は他人を、自分が見たいように見ているんだなぁ、とつくづく思う。

じー



そこに、果たして本当のところの真実はどうなのか、ということは一切関係ないんです。

あなたが目の前にいるその人を大嫌いだったら、
あなたの脳ミソはどうにかして、その人がダメなヤツである理由を探し当てる。

逆にその人のことが大好きな人がその人を見たら、
いかにすばらしい魅力的な人か、
その理由をいくつでも探し当ててしまうんだろうなぁ。

実際のところどうなのかなんて関係ない。その人は本当にめちゃくちゃ素晴らしいかもしれないし、逆にめちゃくちゃ腹黒いかもしれない。両面あるかもしれないし。

でも人それぞれが、自分が見たい部分だけを取り出して見ているだけなのではないかな?

なんか気にくわないヤツ!という前提で見てみたらその証拠がいくらでも出てくるし、

ああなんていい人、素晴らしい人という前提で見たら、これまたその証拠がいくらでも出てくる。

前提、という名の設定が違うだけで、こうまでくるりと180度違って見えるんだ。



さて、
自分が見る側なら、どっちの設定の方が得だろう?

じー



周りは素晴らしい人ばかり!

という設定にするか

周りはやなヤツばかり。

という設定にするか。


どちらも自由に選べるんだとしたら。


断然、周りは素晴らしい人ばかり!
の方がワクワクするよね。


あとはもう努力。その設定を選び続ける努力。

人間、なにもしないでいたら、どうしたって負の方向に引っ張られてしまうからね。

そこにかけては、私は絶対に引きずられたくないな、と思うのです。

そして、かなり細かい部分においても、その設定を選び続けたいと思うのです。

上に書いたように、
周りは素晴らしい人ばかり

周りはやなやつばかり

なんて極端な選択肢だったら、誰だって迷わず前者を選ぶでしょう。

でも実生活において、この選択肢たちはそうゆう現れ方はしない。
もっとうまい具合にかくれんぼしてるわけです。

そして知らず知らずのうちに引きずられて、

けっ、みんなやなやつばっかりだ!
とか、ついつい思っちゃってる瞬間ありますよね?

ここね、この瞬間。

こうゆうときにはっと気づけるかどうか?
気付いてもそこから抜け出せないときもあるでしょう。
けどまず、あ、引きずられた!と気づけるかどうか。

これは、繰り返しの練習。楽器と一緒だと思います。





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